イタリアのブルーチーズの歴史を探る2つの見学ツアーで、ゴルゴンゾーラD.O.P. (保護指定原産地表示)が脚光を浴びました。
8月25~26日にかけて行われた “Valsassina la Valle dei Formaggi” (「チーズの渓谷ヴァルサッシーナ」)というイベントで、レッコ群プリマルーナ市にあるコルタッビオ鉱山地区で見学ツアーが行われ、ゴルゴンゾーラとバライト-重晶石-の鉱山の歴史の関係が説明されました。(沢山のリクエストにより、ツアーは9月9日にも行われました。)
最初の週末に訪れた250名以上の見学者たちは、ウィンドウブレーカーと安全靴を装備して、海抜552メートルの入り口地点まで道路を移動しました。そこから2キロほど白いバライトの鉱床を進むと、過去30年間に多くの鉱物が採掘された壮大な洞窟に到達します。
ツアーの最後には協会によるゴルゴンゾーラD.O.P.の試食が提供され、鉱山とチーズの歴史的な繋がりを説明する逸話がいくつか紹介されました。
19世紀初頭、ヴァルサッシーナで熟成チーズが多く作られるようになったのをきっかけに、ドイツ、フランス、イギリスをはじめとする外国へのゴルゴンゾーラの輸出が活発になりました(当時ゴルゴンゾーラは欧州議会での食事メニューになるほど人気でした)。同じくヴァルサッシーナで採掘されていたバライトは、輸送の途中でその脂分により形状が変化しやすかったゴルゴンゾーラを保護する目的で、「第二の殻」としても使用されていました。18世紀から19世紀初頭のフランス人作家が記しているように、それ以前にもゴルゴンゾーラは海外へ輸出されていましたが、保護として用いられていたのは、モルタルに動物性脂肪とバターを組み合わせたものだけだったようです。
1907年、バライトの使用はフランスで強い反対に遭い、いわゆる「バライト戦争」が生じたことにより、ゴルゴンゾーラの輸入はフランスで数年間中断されました。争点となったのは、(一定の総重量を持つ)バライトの容器重量がありすぎること、そして健康への影響に懸念があるということでした。このフランスの訴えに対しては、農林水産省が告訴に対応する委員会を設立する事態にまで発展しました。実際調査の結果、使用されたバライトの比率は高すぎるという結論が出され、より適切な鉱物を使用することが必要になりました。
国際酪農連盟のイタリア委員会はこの点をさらに調査し、1909年にゴルゴンゾーラの輸送には外殻自体を使用しないことを提案しました。乳製品専門家はアルミ箔を包装に使用するという案を出しましたが、その方法は実際現在まで採用されています。また現在ではさらに他に2つの包み方が考え出されています。一つは縦長の薄い木製の編んだ籐、もう一つもやはり籐で作られた外枠と蓋という構造になっています。
1996年以来保護指定原産地表示と認定されているゴルゴンゾーラの生産は、今日でも多くの製造過程が手作業で行われており、それは国内大手のメーカーにおいても同様です。チーズに使用されるのは低温殺菌した全乳のみであり、それに乳酸発酵物、レンネット、およびアオカビが加えられます。一旦凝固したらカード(一つの形状につき約15kg使用)を筒状の型に入れ、ホエーが失われないようにしばらく寝かせます。その後、個体を回転させながら両側にチーズメーカーの識別番号を付けていきます。それから各個体は「プルガトリオ」(煉獄の意)と呼ばれる部屋に入れられ、そこで室温18~24℃を維持しながら、手作業で塩を付けていきます。
3週間熟成させた後、温度2~7℃湿度85~99%に保たれた冷蔵室の中で、空気の浸透を可能にさせるための穴が、各個体に大型の金属針で開けられます。このようにして、すでにカードに含まれている菌が、ゴルゴンゾーラ最大の特徴でもある青緑色のカビに成長していくよう助けるのです。
約2か月の熟成が終わると、各個体はカットされてアルミで包装されますが、その際に協会が認証した印である G のマークが付けられます。このマークはConsorzio(協会の意)のCとGorgonzolaのGを組み合わせてできたものです。実際、チーズメーカー番号とゴルゴンゾーラ協会のマークが記されているアルミがないならば、それはゴルゴンゾーラD.O.P.ではないことになります。